大石あきこ議員「くそ野郎」で一審に負けるも高裁で逆転勝利 司法が提示した「論評」の対象とは?
◾️一審判決が覆った理由を大石議員側が記者会見で説明
高裁では一審判決を支持せず、大石議員側の全面勝訴という結果になった。一審で指摘された「くそ野郎」発言だが、高裁では「論評の域を脱していない」としている。この判決が出た後、記者会見を行った大石議員側の代理人である佃克彦弁護士は以下のように述べている。
「『くそ野郎』が言いすぎかどうかというところについては、その『くそ野郎』という4文字を見ても仕方ありません。
何について『くそ野郎』と言ったのかというところが、検討されないといけないところでした。そこを今回の高等裁判所はきちんと検討して判断をしてくれたわけです」
佃弁護士は、高裁が山口氏と伊藤詩織氏との関係を見たとしている。山口氏は、伊藤氏に対して彼女の同意がないまま性行為に及んだ。伊藤氏も山口氏から性被害を受けたと告白している。これは司法で認定されている事実である。しかし山口氏は、伊藤氏に対して総額一億円を超える訴訟を起こした。この経過を見ていたそうだ。
こうした山口氏の行動を見た上での「くそ野郎」は、論評の域を逸脱したものとは言えないと判断したという。「くそ野郎」の4文字だけを見ると不当判決のように見えるが、山口敬之氏の2019年当時の行動を見て、あまりにも良識に欠けていたと判断したのだろう。
ただ「くそ野郎」という表現は、通常であれば山口氏の社会的な評価を下げてしまう。しかし名誉毀損というのは、公益目的の論評であった場合は適法であるとか考えられる。今回の訴訟では「公益目的」であったと認められたので大石議員側が勝訴した格好だ。
佃克彦弁護士は会見で一審と二審の違いについて以下のように述べた。
「一審判決をもらったときに思ったのが「くそ野郎」というその語感に対して、非常に心理的な反発をして違法だと判断したのではないかという印象を受けたのです。裁判長の「くそ野郎」は論評の域を逸脱しているという説明に説得力があんまり感じられませんでした。
一方、高裁では、どんな理由で「くそ野郎」と言ったのかを認識した上で、発言について論評の域を逸脱したとまでは言えないだろうと判断をしてくれました。
その違いはどこから出てくるのかというと、やはりこの事件全体を見たときの裁判所の正義感というか、あるいは裁判所のリーガルマインドが一審と二審では違ったんじゃないのかなというふうに想像します」